静岡県リハビリテーション専門職団体協議会
会長 和泉謙二
この度の能登半島地震災害支援において、フェーズとしては復旧期にあたるであろう2 月中旬、および3 月中旬に現地支援要員として活動して参りました。いずれも七尾市(2 月は志賀町でも活動)での活動であり、介入時期の違いによる現地の変化、JRAT 側の支援体制の変化も踏まえ、災害時リハ支援での基本原則であるCSCARIC の観点から報告します。
(解説)CSCARIC とは
C:Command and Contorol(指揮と調整)
S:Safety(安全)
C:Communication(情報伝達)
A:Assesment(評価)
R:Rehabilitation triage(リハビリテーショントリアージ)
I:ICF(ICF の概念より)
C:Community(地域リハビリテーションへの移行)
第6 陣(2/13~2/15):チーム員 PT1 名・ST2 名
【C:活動の指揮・調整】石川県能登中部保健福祉センター内の一室に、JMAT、DWAT 等とデスクを並べる形で「(JRAT)七尾本部」は設置されていました。そこでは本部長ならびに現地ロジ要員(1~4名)が配置され、各種ミーティングへの参加、あるいは他団体との連絡調整、クロノロ作業、支援活動要員とのやり取り(オリエンテーション・指導まで含む)する体制が整えられていました。活動開始前日には石川JRAT のLINE グループに登録した以降、支援チームが現地の避難所等で活動(あるいは終了)する際はすべて、(例)「静岡JRAT→七尾本部 〇〇〇〇到着しました、活動開始します」と報告し、場合によっては新たな指示を受けるようにLINE をフル活用しておりました。
【A:安全面】レンタカー使用のため、事前に当日の天気予報や雪道等の情報収集にかなり敏感となっておりましたが、幸いにも天候に恵まれました。主に使用する道路については応急補修済みで、ところどころに通行止め区間が残存するものの、急峻な段差があったりするため注意深く走行する必要はありました。全国的には流行期を過ぎていた感染症について、一部の福祉施設等で新型コロナ陽性者が再び増加する気配があり、対人接触を伴う活動においてはN95 マスクを使用しました。直接的に陽性者に対応することはありませんでしたが、無為に現地で感染拡大させることのないよう配慮が必要でした。
【C:情報伝達】JRAT 活動チーム間での共有すべき情報として、要支援者シート(経過記録含む)を綴ったファイルは紙ベースで七尾本部に保管され、そこに追記する形で使用していました(※情報共有の形式が変更する時期であり、新規対象者のみ支援チームがエクセル表に打ち込むようになり始めたタイミングでした)。また、避難所アセスメントシートについては、支援チームが収集した情報について手書きし、写真を撮ってLINE 上で共有し、現地ロジがGoogle drive に入力・保存する作業工程が行なわれていました。
【A:評価】関係職種との情報交換について七尾市の調整会議は1 日2 回開催されていました。他の支援団体と顔を合わせ、必要に応じて情報交換できる重要な機会ですが、その場に慣れぬまま着座していると、本来求めるべき保健師やDWAT と連動とか、次の活動への拡がりまで至らぬことも多く、まれなケースとして保健師からの依頼で難病の方の在宅訪問での運動機能評価(リハ・トリアージ)という機会こそ得られたものの、このチームでは情報の拾い上げの場として調整会議を活用できず反省する部分です。
【RIC:実際の活動】活動時間の多くは、アセスメントを含めた避難所回りと、継続フォロー対象者への巡回とその後の継続が必要か否か、リハ・トリアージを重ねました。状態が安定しているか否か、福祉用具が適切に配布され利用できているか否か、住環境スペースに問題はないか等を見極めるとともに、ICF の概念のもと受動的から主体的な参加への道筋を開けないか探りつつ、個別フォロー者へ介入しました。地域リハビリテーションへの移行という観点については、派遣先の平時の地域リハビリテーション体制について十分な知識がないまま臨んだこともあり、結果に結び付けられなかった部分もありました。なお、同時期に回った志賀町では、まだ避難所アセスメントを終えていない避難所もありましたが、徐々に避難所が集約される時期と重なり、実際に移動先に到着するタイミングで待機し、マイクロバスからの降車、避難所への入所、環境因子から検討する避難スペースの選定に、他職と共同して関われたことは非常に有意義でした。志賀町での支援活動関連団体とのやり取りは、LINE オープンチャットが活用されており、到着予定時刻等も含め円滑にやり取りができた印象を持ちました。
第12 陣(3/15~17):チーム員 PT4 名・OT1 名
【C:活動の指揮・調整】派遣された1 週間ほど前に七尾本部は撤収し石川本部(金沢市)に統合されていました。前述した継続フォロー者の情報を綴ったファイルこそ石川本部にありましたが、それを持参し七尾市(場合によっては志賀町)で自発的に計画立案し活動するよう命じられたことです。なお、2日目からは、福井県のリハ・ドクターも合流するので行動を共にするよう指示され、多少手探りながら活動を開始しました。七尾本部がなくなり、活動開始前、終了後も含め立ち寄る場所がないので、七尾市の調整会議の行われる建物のフリースペースを活用して、毎日打ち合わせを行いました。調整会議では、(私個人としての前回派遣時の反省も含め)その日に回る避難所・予定時刻等を支援活動関連団体に明確にお伝えし、後に何らかの依頼を受けた追加分も含め、避難所全体に伝えるべく七尾市のLINEオープンチャットにて公開、情報共有する形をとりました。尚、石川JRAT のLINE グループでのリアルタイムな活動状況報告は、「七尾本部」を「石川本部」に置き換えて継続されました。
【A:安全面】この派遣でもレンタカー使用でしたが、七尾市内のみでの移動が多く、突飛にマンホールがせりあがったり、歩道が陥没したりしている箇所がありましたが、多くは修復されていました。ただ、この時期においても市の中心部を除き断水状態が継続していることもあり、仮設トイレが使用できるコンビニに繰り返しお世話になりました。新型コロナや、インフルエンザについて感染拡大している傾向は認められず、対人接触においてもサージカルマスクにて対応した時期でした。
【C:情報伝達】個別フォロー者の記録について、持ち歩く目的もあり紙ベースのものが残っておりましたが、Google drive 上にも入力する仕様に変更されていました。本来なら当初より、そのシステムで情報共有すべきスタイルだと望ましく感じますが、いつ起こるか分からない災害、最初から万全のものを構築することの困難な部分かと思われます。今後、平時からの備えとして、災害支援における記録形式が全国で共有されるための布石となるのではないか感じるところです。
【A:評価】他団体との協力については、やはりDWAT と連絡を密にして共同での活動ができたことについて印象深く残っております。七尾市での支援活動のための情報共有に関しオープンチャットが活用され始めていたため、こちらの存在を明示でき、協力を求められやすくなったものと考えました。1 点残念だったのが、全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)と、避難所集約に向けた住空間について、一緒に検討する機会を設けたらどうかと提案されてたにもかかわらず、行政側が2 団体相互の意見調整に対応できないかもしれない、と二の足を踏んでしまい見送られたことです。
【RIC:実際の活動】2 日目からリハ医が合流となり、医師1 名、PT4 名、OT1 名の計6 名と大規模チームになったため、避難所を訪れた際に、個別フォロー対象者に対応するグループと、集団での対応(シルバーリハビリ体操)するグループで2 分化でき効率的な活動が行なえたものと考えます。七尾市内でも20 数か所の避難所が、8 か所に集約化される前段階であり、環境変化に伴い新たな障壁が発生し、機能低下を招かないか危惧する部分について、各避難所で管理者にお伝えするものの、リスクがある方などの拾い上げはうまく行えなかった部分があります。また、災害リハ支援の最終的なゴールである、地域リハ資源への結び付けについては、今回の被災地の土地柄なのか、もとより地域リハビリテーションの概念が浸透していなかったり、あるいはそれにあたる人材や組織が十分に構築されていなかったりするため、地域としての体制整備が図られるべく課題が残ったものと感じられました。
最後となりますが、他の皆様の投稿では、活動の表立った部分を表現していただいていると思いますので、私は背景となる部分で説明いたしました。今回2 度の派遣、あるいはその他グループへの関与を通じ、多くの災害リハ支援に積極的なセラピストと出会えましたこと、深く感謝しております。